みぃ はぃ ゆ~

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2013年 01月 06日

「食卓一期一会」 人生とは----誰と食卓を共にするかということ

元日に仙台に着いたとき、空腹だった私に従妹が出してくれた「仙台雑煮」。
ハゼと二番出汁のすまし汁、セリがハゼと合ってとてもおいしく
新年早々おかわりしていただいた。

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食事時間を外れていたので一緒にお雑煮をいただく人はいなかったけれど、
周りには叔父や従妹の家族がわらわらとにぎやかに「存在」していた。




「一期一会は食卓にあり。人生とは--誰と食卓を共にするかということだ」扉より


 「食卓は、ひとが一期一会を共にする場。そういうおもいが、いつうもずっと胸にある。食卓につくことは、自分の人生の席につくこと。ひとがじぶんの日々にもつ人生のテーブルが、食卓だ。かんがえてみれば、人生はつまるところ、誰と食卓を共にするかということではないだろうか。
 料理に大切なのは、いま、ここという時間だ。新鮮な現在をよく活かして食卓にのせる。それが料理というわざだ。料理はひとの暮らしとおなじだけの古い物語をもつが、料理に息づいている歴史とは、すなわち日々の新鮮な現在だ。
食卓を共にするというのは、そうした新鮮な現在を、日々に共にすることだとおもう。
 こころの贅肉をそぎおとすべしだ。詩という言葉の料理をとおして、歯ごたえのある日々の悦びを食卓に送れたら、とねがう。言葉と料理は、いつでも一緒だった。料理は人間の言葉、そして言葉は人間の食べものなのだ。」


「食卓一期一会」後記より


               「食卓一期一会」長田弘 1987年 晶文社


大叔母房子さんにクリスマスに贈った絵本の訳者が、長田さんだった。
センスの良い日本語訳だな、とは思って絵本を選んだけれど、
長田さんの名前は存じ上げなかった。
わたしは絵本の作者シェル・シルヴァスタイン氏の名前は少し認識していたけれど
恥ずかしながら、長田さんのことはノーマークだった。
絵本の日本語の軽快さから、もっと若い人かと思っていた。

お料理をはじめモノづくり全般を得意とする房子さんからのお礼の手紙には
「長田さんの詩が好きで、若いころ書き写したりしていました。」と。

おやや!!そうなのか!書き写したくなるほどなのか!!と
突き動かされるように年末に図書館で10冊枠まるまる長田さんの詩集や絵本を借りてきた。

これは、そのうちの1冊「食卓一期一会」の後記である。


「人生とは、だれと食卓を共にするかということ」

この言葉の奥のほうにある、後ろに潜む、哲学的な髄のようなものに
心臓を掴まれる思いがする、今の私は。

食事って大事だよね、とか、だれと食べるかで味が変わるよね、とか
食べたもので体が作られるし、人生も変わるよね、とか、、、
それらのどれもがそのとおりで大事なことではあるのだけれど、
そんなあたりまえのことじゃない・・・もっと深い人生の真髄の部分を
とても簡単な言葉で表し、突きつけているように感じたから。


今日、わたしは誰とも食卓を共にしていない。
ちゃんと料理はしているし、美味しくできているし、気軽で手軽で
別に何も困らないけれど、果たしてそれでよいのか?

今年も、可能な限りsomeoneと食卓を囲む機会を持ちたい。


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この本と出会わせてくれた房子さんに、感謝。
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by yuraranote | 2013-01-06 13:51 | 映画・本


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