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みぃ はぃ ゆ~

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2014年 12月 31日

お見送り

わたしの2014年は、ハードだった、の一言に尽きる。

珍しく公私ともに目標をはっきり立て、そこに向かって目一杯努力した一年だった。結果は公私ともに報われることなく、特に夏以降は仕事の過労からいくつも初モノの病気をした。
120%の努力をしてみて、諦めがついた。自分の身体と運と人生に。

だが、諦めがつこうが今年を見送ろうが、身体も仕事もハードな日々は来年も続く模様。


今年は、三人の身内を見送った。

3月に父方祖母の妹、大叔母。
昨年の暮れに藤代誠治さんの大きなカレンダーを送り、そのお礼のハガキが最期となった。三月の誕生日にバースデーカードを、何故だかどうしても送れなかった。後からわかったのは、ちょうどその直後に体調を崩されたようだった。
大叔母が今送ってくれるなと、私に念を送っていたのだろう。
誕生日から四日後、大叔母は94歳と4日の人生に幕を下ろした。

自室に飾った同じカレンダーを見るたび、めくるたび、大叔母の事を思った。大叔母が過ごせなかったカレンダーの日々を思った。カレンダーの絵の一枚一枚の絵について、もう大叔母の素晴らしい観察眼による感想や解説を聞けないのがとてもつまらなかった。

でも、大叔母は、不自由になった身体からようやく解放され、せいせいとしているに違いない。昨年先に逝った娘婿や二十年以上前に逝った夫と、楽しく語らっていることだろう。

8月に母の弟、叔父。
おじいちゃん、起きてこないね。おじいちゃーん!疲れてるんじゃ?もう少し寝かしておいてあげよう。…それにしても起きてこないね。もう出かける時間だよ。
そして孫娘が起こしに行ったらすでに硬くなっていたそうだ。

叔父はひとり娘である私の従姉妹をそれはそれは可愛がっていて、私たちは子供の頃から従姉妹が羨ましかったものだ。泣き崩れる喪主である従姉妹を、叔父の孫である娘や息子が支え続けていて、叔父とすでに他界した叔母の愛情の連なりを感じた。

仕事はプロのドラマー。大型バイクに乗り、将棋と卓球が上手でサングラスが似合う孫娘自慢の、ダンディな叔父だった。
享年79歳。

葬儀で、何十年ぶりかで従兄弟や他の叔父、叔母にも会った。
ちょうど故人の弟である別の叔父の誕生日で、告別式の後の食事の場で皆でハピバスデーをハモったのはステキだった。

病院で管に繋がれて延命措置を取られるのがイヤだったら、救急車に乗ってはいけない、というのが叔父からの最後の教えだった。


最後のひとりは、従兄弟の奥さんで若い頃から私が慕っていたお姉さん。

クリスマスイブの朝。お母さん、起きてこないね。大学生の下の娘が起こしに行って、こと切れているのを発見。救急車を呼び、すでに出勤していたお父さんに電話したという。

これまで大きな病気をしたこともなく、前日まで何の前兆もなかったのに、いきなりクモ膜下で亡くなってしまった。それだけに周囲の誰もが信じられず、ショックも大きかった。専業主婦の葬儀にしては異例の500人近くの人が通夜に詰めかけた。彼女の人柄ゆえだろう。
亡骸の彼女は微笑んでいた。苦しむことなく逝ったのだろう。

わたしも大好きなお姉さんだった。大事に育てた娘たちが実に立派に成長していて、彼女の遺品だなぁと思ったけれど、夫、実の母と義理の母ふたりを置いての旅立ちは、あまりに急すぎ、そして若すぎた。53歳。あと一日で誕生日を迎えるはずだった。
これからまさに第二の人生を楽しめる時だったのに。

私はせめて従兄弟や母たち、娘たちを見守りたいと思う。


そして今、2014年を見送ろうとしている。
しんどい一年だった。今も身体中のあちこちが痛む。

報われはしなかったけれど、いや、私の欲っした報いは得られなかったけれど、ほんとうによく頑張った一年だった。
特に職場では新しい環境の中で目一杯努力した。自分に何ができて、限界は何かを、知った。

来年はもう少しペースダウンして、体調よく過ごせればと願う。亡くなる時はわたしも寝ているうちに、がいいな。

by yuraranote | 2014-12-31 20:27 | 季節のひとコマ


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